「本郷館」とは

本郷館は、東京帝国大学/東京大学の学生街、文京区本郷に、1905(明治38年に建てられた、木造3階建ての下宿屋です(敷地約300坪・建築面積約167坪・延床面積約400坪・約70室・留学生向け洋室も)。本郷では、多くの下宿屋・旅館が岐阜出身者によって開業・経営されてきましたが、本郷館の建造者も岐阜の方でした。

1913~1917(大正2~6)年、東京女子高等師範学校現・お茶の水女子大学)の「第二寄宿舎」として使用され(参考:当時の寮生による、自伝的小説中の本郷館描写抜粋)、

1919頃~1940(大正8~昭和15)年、女中6人が各部屋に食事を上げ下げする、まかない付き高等下宿「本郷館」となり、「放浪記」などで知られる小説家、林芙美子、中国の高名な作家、茅盾(ぼう・じゅん)、日本初の高層ビル、霞ヶ関ビルの構造設計をし、建築学会会長などを歴任、文化勲章を受章した、武藤清、世界的小児科医、内藤寿七郎らが暮らしました。(参考: グーグルブックサーチで読む本郷館略史、 「本郷館の半世紀」 )

その後も、時に住人同士で鍋を囲むなど、豊かな共同生活の場、コミュニティであり、近隣の古くからの旅館や求道会館求道学舎などの歴史的建造物と共に、本郷ならではの景観を形成、1953年には、著名写真家、木村伊兵衛も撮影( 「木村伊兵衛の昭和」所収)、1993年には、都築響一の写真集「TOKYO STYLE」にも収められるなどしてきました。

学術調査報告としては、1974年、文京区教育委員会「文京区の文化財-五箇年計画調査のまとめ」、2002年、財団法人第一住宅建設協会研究助成「日本の近現代における都市集住形態としての下宿屋の実証研究-東京・本郷・本郷館をケーススタディとして」などがあります。